フジコのこと

2020年5月、曇天の日、猫のいる暮らしが終わった。

突然、というわけではない。半年のあいだ週1〜2回の通院生活をつづけ、最後の10日間は確実に来るとわかっているXデーを恐れ、元気を振り絞り、奇跡を祈り、また絶望して、わけのわからない怒りにかられ、と自分の卑しさと弱さと冷酷さを存分に味わう、苦しい日々だった。



猫の名前は、フジコという。

名前の由来は『ルパン三世』の不二子だとよく勘違いされたけれど、本当は〝すこし・ふしぎ=SF〟の名作を生み出した藤子・F・不二雄先生からいただいた。

猫と暮らす前に、女の子ならフジコ、男の子ならフジオにしようと決めていて、そのとおりにした。 


わたし含めて家族は全員、猫と暮らすのがはじめてで、生後4ヶ月の猫も当然、人間と暮らすのははじめてだったので、お互い歩み寄るまでが大変だった。

猫にルールは通じないと聞いていたが、危ないことをすれば「危ない!」、来て欲しくないところに来れば「ダメ!」と言ってしまう。

猫は一瞬びくりとするものの、結局はやりたいようにやる。人間がいつか折れていく。

そして忘れたころに、本当にヒヤリとする目にあうのだ。

ヒヤリとしてはじめて猫自身が懲りたり、人間側が対処法を考えだしたりする。

 猫のいる暮らしで、わたしは妥協と諦めの先にある達観を得た。

人生なるようになる。

 

フジコは抱っこは嫌いだけど、撫でられるのは好き。家族はよく肩をたたかれた。

あまり鳴かない猫で、催促の声もかぼそかったから、意思表示はいつもこの肩ちょんちょんだった。 

毛も体もおそろしくやわらかく、そのへんのぬいぐるみよりよほど手触りがよかった。

撫でていると、よく眠くなった。 気づくと、猫も丸くなって寝ていた。 


 11年いっしょに暮らした。

来たばかりのフジコに引っかかれてドン引きしていた5歳の娘も16歳になった。

 小学生くらいまではフジコから警戒あるいは完全無視されていたのが、いつのまにか家族の中で一番なつかれている人になった。 

娘の隣にはいつもフジコの姿があり、娘が部屋を移動すれば、その後ろをついて歩いた。

娘の成長を、猫の懐き具合ではかっていた自分がいる。 

あと10年は猫といっしょに暮らすつもりだったから、娘の自立のほうが早いとばかり思っていた。

さよならの覚悟の順番が逆になって今、混乱している。 



それでも家族全員が家にいて、弱っていくフジコを見守り、しっかり見送れたことは、救いだった。

わたしひとりだったら、耐えられなかっただろう。

コロナ渦といわれ、いろいろな不自由を強いられる日々のなか、唯一よかったことだ。 



 死までにはいくつもの選択肢があり、岐路があった。

その都度考えて、覚悟して、選んだつもりでも、猫の弱りきった姿や娘の泣きじゃくる姿を間近で見ていると、間違いだったんじゃないかと震え、何度も嗚咽を押し殺した。

一番苦しくて泣きたいのはフジコのはずなのに、わたしのほうが先に崩れてしまった。

これは本当に申しわけない。年ばかり重ねて未熟な自分を恥じる。 


最後の2日間は起き上がれず、歩けず、排泄もトイレでできなくなった。

垂れ流したもので、自慢の毛並みもがさつき、汚れた。自分が汚れていることも気づかない、あるいは気づいても自分できれいにできないし、人間にもされたくない(触られたくない)ほど、体がきつかったのだろうと思う。 

だから、亡骸となったフジコのまだあたたかくやわらかい、そしてずいぶん軽くなってしまった体を抱いて、家族がまずしたのは、シャワーで洗ってドライヤーで毛をふわふわに乾かすことだった。

シャワーは大嫌いだったのに、もう動かない。動けない。涙が出た。

目も口もひらいたままだったから、迷ったけれど、軽く閉じさせてもらった。

すこしでも安らかに逝ったと思いたい、そんな人間のエゴで閉じた。ごめんねと詫びながら。


火葬は翌日にしたので、1日半いっしょにいた。

タオルにくるまれて横たわるフジコのそばに、家族がかわるがわる寄っては撫でていく。

体はかたくなったけれど、桃色の肉球は最後までやわらかく、ひんやり冷たかった。 


家のなか、ソファや椅子の上、机の下、無意識に猫を探して、いないことにハッとする日々がつづいている。

黒い服を着ても毛はつかず、毛を吸い過ぎた掃除機が壊れることもなく、ドアも窓もひらきっぱなしでかまわない。足にまとわりつかれて歩けないこともない。キーボードの上を歩かれて支離滅裂な文章が原稿に打ち込まれることもない。ごはんや水の用意も、トイレの掃除もなくなった。

快適ともいえるそんな日常が、いちいち寂しい。 

わたしはあまり写真を撮る習慣がないので、他の家族の写真同様、フジコの写真も数えるほどしか撮らなかった。

携帯文化で生まれ育ち、自撮りも他撮りも自由自在の娘がフジコの写真をたくさん撮ってくれていたことに、今、感謝している。

ただ、まだその写真やビデオをじっくり見直すことはできない。後悔ばかりが押し寄せてきて、つらいのだ。

フジコという猫のいた暮らしを、セピア色にはしたくない。けれど鮮やかな総天然色で振り返るのはきつい。ちょうどいい按配の色にするには、自分の心を塗り潰したコールタールのような夜が明けるのを待たねばならない。



死は迎える側も見送る側も大仕事だ。生半可な気持ちは挫かれる。

フジコが教えてくれたんだ。ありがとう。きみは最後まで立派だったよ。

どうぞ安らかに。


※我が家に来たばかりの頃。




【蛇足】

この文章は2020年5月26日に書いたものです。

家族一同の気持ちが落ち着くのを待って、公(ネット)の記録に残しました。

猫にもお盆はあるのかな。夢に出てきてくれてもいいんだよ。